ソーシャルゲーム

痛いニュース(ノ∀`) : 子供に月数万円の高額請求…携帯ゲームサイト、果たして健全と言えるのか - ライブドアブログ


脳内整理のためのひとりごとなので冗長に書きます。



ソーシャルゲームは、「ゲーム」という名を借りたコミュニケーションツールだ、という話を聞いたことがあります。


ゲームの舞台を共通の「場」「話題」として、その場で知り合った人たちとゲームをしたりチャットをしたり、力を合わせてクエストをしたり、といった感じでコミュニケーションを取ることがゲーム内の重要な要素となっているのが従来の家庭ゲームとの大きな違いだ、ということです。

コミュニケーションが大事ならば、時間が限定される据え置きPCよりも常時持ち歩く携帯電話が主要なフィールドになるのも当然ですし、捜査もより簡便な事が望ましいから現時点でのインターフェースの都合上もありEnterキーを押すだけの「押すゲー」が多くなるのも当然なのかも知れません。


Facebookを代表とする実名推奨のSNSの世界は、現実世界でのコミュニケーションを増幅させる装置として機能していますが、ある意味現実世界の呪縛から逃れられ無い分窮屈です。

GREEやモバゲーなどの匿名性が高いソーシャル空間では、ソーシャルゲームなどの各種各様の世界観の中に没入し、世界観を前提としたコミュニケーションを取ることで、現実世界とは異なったコミュニケーションを取ることが出来るのが楽しいのでしょう。
どんなにウダツが上がらない人でも、そのゲームの世界の中でちょっと努力したりお金を費やすことで世界観の中で優越感を抱くことができれば、心が幾許かは開放されるのかも知れません。

やはり人は、人間との関係性から逃れられないし、良い関係性の構築が人間の快感に繋がっています。そういう意味で、ソーシャルな欲求を手軽に満たしてくれるソーシャルゲームが人気になるのも分かる気がします。


なので個人的には、ソーシャルゲームの必要性は十分に感じています。



しかしソーシャルゲームに数万円を使うのは行き過ぎな気がします。同じお金を使えば近場の海外に数日出かける事が可能で、個人的にはそのほうが視野も人間関係も広がりますし、自分の為になる気がします。
数万円は大げさだとしても、バーチャルな世界で千円くらい使って友達にプレゼントを送るよりも、同じ金額で身近な知り合いや親などに花などを送ったほうがよほど気持ちも伝わる気がします。

稀少性や品質、製品に込められた思いや、そのものを買った人の思い、かけた手間といったモノが大事ですし、買い手/送り手の「真心」がなによりの価値になってきます。
バーチャルな世界のアイテムに、そこまでの「真心」は込められるのか?

バーチャルな世界の価値観と、現実世界での価値観を上手にリンクして取捨判別出来ないと、刹那的なお金の使い方になります。


寂しさのあまり手軽なソーシャルゲームの世界に没入するのは、より人間関係が表面的で希薄になる気もします。
究極のコミュニケーションは人肌同士のふれあいですし、端的に言うとS◯Xな訳ですが、そこまでの濃密さはどうしたってソーシャルゲームでは体験できません・・・

表層的なコミュニケーションだけれど寂しさを紛らわすために没入し、時間を浪費し、虚しさを感じ、寂しいからさらにまた没入する・・・というプロセスが個人的には想像できて、ちょっとためらわれるモノがあります。



百式で有名な田口さんがどこかの講演で「mixiの最大の功績はリアルでの出会いを増やした事」と話されていたのが個人的には印象深く残っています。
もちろんmixiにはさまざまな功罪があるにせよ、バーチャルな世界で完結するのでなく、やはりリアルな世界の充足に何かしらつながっているようなサービスが、やはり望ましいのだと思います。