知的とは

「知的」であるとはどういうことだろう?

と色々考えてみた内容を書いてみます。的を射ていなかったらゴメンナサイ。

前提

知的な情報にアクセスできること

専門的で普遍的な文献や意見、その他情報にアクセスする手段能力を持ち、それらを正確に解釈し咀嚼することが出来ること。

文献等を解読したりコミュニケーションするための語学力や、それらを正確に理解するための様々な分野の基礎的、応用的知識などの能力が、全体の情報を総合して俯瞰して眺めたり相互依存関係を紐解いたりする能力が必要なのかなと思います。

知的創造を行う人々と接点があること

情報は過去のものなので新たに知的創造を行うことが大事で、最先端になればなるほど一人の独力では難しい。
同業もしくは異業種の知的創造を担う人たちといかに接点を持ち、課題を共有し、情報を交換しあい、刺激しあい、そんなコミュニケーションを取れる環境であること。

こういう側面で、高学歴な方々は知的なサロンへの入会資格があるという意味で環境に恵まれているし知的であるための条件を満たしているのだな、と今更ながら思います。
(余談ですが、私はある程度の知名度の大学に行くことは成績的・能力的に可能だったのに「学歴がすべてじゃない」的な安易な言説に振り回されて質的にはあまり高くない大学に行ってしまいました。今では少し後悔しています。)

知的創造を行えること

そして、上記のような能力・環境を元に、実際に世の中に役に立ち、人々の生活をより豊かで便利にすることができるような知的創造を行うことが出来ること、がなにより必要なのかなと思います。

工学的なアプローチで今まででは達成できなかった問題を解決したり、世の中の空気、雰囲気を一つの文章や絵画などで印象的に切り取って表現したり、もしくは先人の積み重ねてきた知識体験を後進にわかり易く伝えたりなんてのも知的創造性のある行動だと思います。


必要なもの

上記にも書いていますが、能力的なもの、環境的なもの、そして目に見える成果が必要なのだと思います。

それにプラスアルファして、姿勢や考え方で言うと以下のようなのが必要なのかな、と。

  • 探究心。何事にも前例や固定観念を疑い「なぜ」を問い続けること
  • 能力開発を怠らないこと。いかにたくさんの情報を頭に詰め込もうとしても器が狭いのでは限界がある。記憶力、判断力、論理思考力等々の訓練を日頃から怠らない
  • 心の「澱」を捨てる。人の好き嫌いや先入観を捨てて、良いものは良いと感じ、悪いものは悪いと感じる素直な気持ち
  • 継続すること。あきらめないこと。
  • 自分や未来を信じること。人類が知的創造の蓄積により生活を豊かにしてきたその営みを信じること。

結論

「知的」であることが良いことなのかどうなのか、優劣の価値判断基準にしていいのか等々はよくわかりませんが、僕は功名心や社会的欲求的な観点も含めてできれば知的な感じになりたいと思っています。まあ限界はあるでしょうが。